
自公連立政権から公明党が離脱し、自民党の新たな連立パートナーとして日本維新の会が浮上しています。
維新が連立の条件として掲げているのが、「議員定数の削減」。
「税金の無駄遣いが減る!」「政治家が身を切るのは当然!」と賛成の声も多いようです。
しかし、議員の数を減らすことで私たちの生活は良くなるのでしょうか?
残念ながら答えは「ノー」。
それどころか、「身を切る改革」よって日本人の貧困化が進む可能性があります。
そこで今回の記事では、下記ポイントについて解説します。
- なぜ「身を切る改革」が国民生活の向上に繋がらないのか?
- 日本人が豊かになるために優先すべきことは何か?
「まず議員から身を切るべきだ!」とお怒りの方は参考にしてください。
議員定数削減の効果とは?
日本維新の会の藤田文武共同代表は、連立入りの条件として「議員定数の1割削減」を自民党に提示しました。
衆議院の場合で約50議席、参議院で約20議席の削減です。
仮に1人あたりの年間経費を1億円としても、削減額は約70億円。
しかし、日本の2025年度の予算額は約115兆円。
予算額と比較すると、削減額は「誤差」と呼べるレベルです。
こんな誤差レベルの議員削減に時間をかけても、国民の生活は良くなりません。
確かに役に立っていないムダな国会議員がいるのは事実。
多くの国民が「無駄な議員を減らしてほしい」と感じるのは当然のこと。
政治家が「身を切る覚悟」を示せば、国民の気分は一時的に良くなるかもしれません。
しかし、現状の日本に必要なことは、国民の生活を豊かにするための「効果的で具体的な政策」をスピーディーに実行することです。
「身を切る改革」は国の予算を削る「緊縮財政」につながる
「身を切る改革」という言葉は聞こえが良いですが、その裏には「政治家だけでなく、国の予算も徹底的に削るべき」という考え方が潜んでいます。
つまり「身を切る改革」は「緊縮財政」へとつながっていきます。
日本はバブル崩壊後、「緊縮財政」を続けてきました。
その結果が、「失われた30年」と呼ばれる日本の経済停滞と日本人の貧困化です。
公共事業費を削った結果、道路や橋の老朽化が進み、八潮市などで道路陥没事故が発生。
また、農業予算を減らしたことで米の供給が不安定になり、価格が急騰。災害が起きてもいないのに備蓄米を放出する事態になりました。
さらに、緊縮増税政策によって 国民の可処分所得は減少。物価だけが上がり、家計は疲弊しています。
バブル崩壊後に続けられてきた緊縮財政こそ「失われた30年」を生んだ最大の原因。
「失われた30年」を反省することなく過ちを繰り返せば、「失われた40年」へと突き進むことになります。
つまり、「身を切る改革」は最終的に日本そして日本国民を貧困化させる政策につながっていくのです。
必要な政策は消費税減税や「年収の壁」引き上げ
議員定数の削減などを議論している余裕はありません。
国民生活を守るために優先すべきは、消費税減税や「年収の壁」引き上げによる国民の可処分所得を増やす政策です。
消費税については食料品だけゼロ%にするのは愚策。
一律に減税し、最低でも5%まで下げるべきです。
また自民・公明・国民民主の三党合意に従い、 ガソリン税の暫定税率を廃止しつつ「年収の壁」を178万円まで引き上げるべき。
民間が不況下で消費や設備投資を控える中、お金を使えるのは通貨発行権を持つ国(政府)だけです。
減税の代替財源を探すという間抜けな議論を止め、税収が足りなければ国債を発行すべきです。
自国通貨建ての国債を発行できる日本が財政破綻しない(できない)ことは周知の事実。
「失われた40年」を回避するために積極財政に転換しなければ、日本人の貧困化は止まりません。
まとめ

日本維新の会が連立の条件として掲げている「議員定数の削減」は、一見いいことのように感じます。
しかし、「身を切る改革」は「緊縮財政」へと進んでいくことになります。
自民党内には財政健全化を重視するザイム真理教の議員も多く、積極財政派の高市氏が首相になっても党内から足を引っ張られる可能性があります。
議員定数を減らせば、「無駄を減らした」というスッキリした気分になるかもしれません。
しかし、「身を切る改革」で政治家の覚悟を示したところで、国民の生活を向上させる効果は全くありません。
むしろ、「身を切る改革」により「緊縮政策」が進めば、公共サービスの削減や税負担の増加につながり日本人の暮らしはさらに厳しくなる恐れがあります。
問題の本質から目をそらさせようとする発言に惑わされてはいけません。
少数与党が誕生すれば、国民のための政治を取り戻す絶好のチャンス。
今こそ一人でも多くの国民が政治に関心を持ち、私たちの声(民意)を示すことが豊かな日本を取り戻す一歩につながります。